花フェスタ旭川の記憶

2000年〜2004年
1990年に「大阪国際花と緑の博覧会」が開催されて以降、日本のガーデニングブームが全国へと広まっていきました。花フェスタ旭川はそのムーブメントに乗り、1994年にに開催されたのが始まりです。
2000年代前半は常磐公園を舞台に、花フェスタ旭川が大きく花ひらきました。

当時の写真で花フェスタの歩みを振り返ります。

※花フェスタ旭川の過去の写真データをお持ちで、このサイトで掲載しても良いという方がいらっしゃいましたら、どうぞ下記お問い合わせボタンより、花フェスタの思い出とご一緒に事務局にメールをお送りください。

花フェスタの思い出を語り合いましょう。

2000年

(北海道新聞 2000年6月7日掲載)
テーマは「花と緑の共生。花と緑と水に親しむ瞬間(とき)」。2000年代前半は、このテーマが続きました。

7つあるメイン花壇は「21世紀へ。彩りネットワーク」をテーマに、初めての試みとして道北の小学生・高校生にデザインを依頼、造園業者が植え込みを行いました。
中央のに写っているのは、付属旭川小学校の児童がデザインした直径3mの花壇。真ん中に大きく「21」の数字をあしらい、宇宙をイメージした紫いろや人の心を表す白などで人と自然の調和を表現しています。

大型テントのフラワーパビリオンには、ランの販売に台湾から2店が出店。洋ラン販売だけで7店もの参加があり、園芸ファンの注目を集めました。

5日間好天にも恵まれ、この年初めて来場者数が10万人を超えました。


2001年

道立旭川美術館で原画展を開催中の絵本作家ターシャ・テューダーさんの暮らしを紹介するパネルが登場
屋外には、農業高校や市内の造園業者がつくる花壇の人気投票企画「三坪ガーデン」6基と、22の団体が参加する花市場が並び、常磐公園はいろとりどりの花でいっぱいに。

屋外会場のフラワーパビリオンには「想像空間」と題したモニュメントが登場。約5,000本の生花を用いた大きなオブジェを中心に、フラワーアレンジや盆栽などの作品が飾られました。
7月12日開催

花フォーラム

(北海道新聞 2001年7月13日掲載)
この年は、特別企画として「花フェスタ2021旭川花フォーラム」を開催。

カナダの環境美化団体の代表を務めるレイモンド・キャリアさんによる基調講演のほか、東神楽町関崎町長(当時)が参加したパネルディスカッションが行われ、120人が集まりました。

2002年

撮影スポットとして人気となったフォトフレームをあしらった花壇。インスタ映えを先取りしていた…⁈
買物公園が30周年。記念イベントの「買物公園まつり」と花フェスタの開幕日が重なったことで、街なかが賑わいました。

緑のプレゼントも毎日実施されていた。

3,000本の生花でつくるモニュメントは「2002 W杯 花スタジアム」がテーマ。高さ約3.3mの屏風型のモニュメントで、サッカーW杯出場国に因んだ32本の色とりどりの布がアクセントとなっていました。

会場中央に幅9mのイベントステージが初登場。大雪山系と旭橋をかたどった横3m、高さ1.5mのメイン花壇がステージを飾りました。造園業者がメイン花壇を作ったのはこの年が初めてだったというのがなんとも意外! 

2003年

旭川市・東神楽町の児童が参加する「ぼくの、わたしのコンテナガーデンひろば」。この頃は参加校が多く4tトラックを借りて2〜3日がかりでコンテナを集めに行っていました
記念すべき花フェスタ旭川の10周年!

今では人気イベントとして定着したフラワーウェディングショーが初めて開催されました。
現在は旭川理容美容専門学校の学生さんがモデル&ヘアメイクを担当しブーケはフラワーショップなどが制作していますが、第1回目では旭川農業高校の生徒がモデルからブーケ制作までを担当してくれていました。ブーケのお花も旭川農業高校で育てたお花と市内の花農家からご提供いただいていました。

花のモニュメントはテーマは「トロピカルサマー」。
ハンモック型につるした漁網に300本近くのグロリオサを挿して華やかさをプラスしました。
(残念なことに写真が事務局内で見つけられませんでした。お持ちの方がいらっしゃいましたらご一報ください!)

2004年

高さ5mのオブジェを中心に胡蝶蘭やユリ、ひまわりなど約20種類の植物を配した存在感あるモニュメント
連日晴天に恵まれ、来場者は11万人を突破。屋外の花市場もたくさんの人で賑わいました。

花フェスタ旭川の記憶 2000年代後半に続きます