花フェスタ旭川の記憶

2005年〜2009年
1990年に「大阪国際花と緑の博覧会」が開催されて以降、日本のガーデニングブームが全国へと広まっていきました。花フェスタ旭川はそのムーブメントに乗り、1994年にに開催されたのが始まりです。
2005年は、会場を大雪アリーナに移転。花フェスタ旭川は大きな転機を迎えました。

当時の写真で花フェスタの歩みを振り返ります。

※花フェスタ旭川の過去の写真データをお持ちで、このサイトで掲載しても良いという方がいらっしゃいましたら、どうぞ下記お問い合わせボタンより、花フェスタの思い出とご一緒に事務局にメールをお送りください。

花フェスタの思い出を語り合いましょう。

2005年

旭川生花商組合が藤棚をイメージした土台にひまわりやバラなど約3,000本の花でつくったトンネルが、屋内会場に彩りをもたらしました
この年、花フェスタ旭川の会場が、旭川市大雪アリーナ(現・道北アークス大雪アリーナ/以下、大雪アリーナ)に移転しました。
花フェスタ旭川が、旭川の初夏を彩るイベントのひとつとして定着し、年を重ねるごとに来場者数が増えるにともなって深刻になってきた駐車場不足と、雨天時のぬかるみ対策の解消が大きな理由でした。(当時は、常磐公園に設置していた巨大テント「フラワーパビリオン」より、大雪アリーナの施設使用料のほうが安価だったとのウワサも…)
初めての屋内会場で、本当に人が来てくれるのかハラハラドキドキしながらの開催でしたが、5日間で延べ約11万人に訪れていただき、ホッと胸をなでおろしました。

この年は、上野ファーム(旭川市)の上野砂由紀さんや紫竹ガーデン(帯広市)の紫竹昭葉さんによるフォーラムも開かれました。

2006年

(北海道新聞 2006年6月6日 掲載)
(北海道新聞 2006年6月19日 掲載)
旭川生花商組合がつくる花のオブジェに加え、道北造園建設業協会が南仏風のプライベート・ガーデンをイメージした「みどりのガーデンステージ」を制作し、屋内会場はより華やかになりました。
道北造園建設業協会によるガーデンステージはこの年以来、花フェスタ旭川の大きな見どころのひとつとなっています。


この年から花フェスタの写真がデジタル保存になったのですが、記録ディスクが古すぎてデータが開けないというまさかの事態が発生。大切なものはやはり紙で残した方が良いのかもしれない、と痛感しています。
当時の写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひお声がけください(>人<;)

2007年

(北海道新聞 2007年6月12日 掲載)
(北海道新聞 2007年6月19日 掲載)
花フェスタ旭川開催前日の北海道新聞に、会場図が掲載されているのを見つけました。この頃は、物販コーナーがまだまだ少なかったんですね。
花フェスタ旭川では、生花や鉢花・花苗を扱うお店のほか、花と緑・自然に関わるものを販売するお店、そして来場くださった皆さまのための軽食を提供する飲食店が出店ができます。全国各地から集まる物産展のような多彩なお店も花フェスタ旭川名物のひとつとなりました。

2008年

(左:北海道新聞 2008年6月12日 掲載 /右:北海道新聞 2008年6月14日 掲載)
(北海道新聞 2008年6月13日 掲載)
道北造園建設業協会によるガーデンステージが、南仏風からイギリス風に衣替え。旭川生花市場によるフラワーモニュメントは4m超えと、ふたつの見どころが屋内会場に華やかさをもたらしました。

この年は小中学生による絵画コンクールも開催しました。
花フェスタ旭川は、次世代を担うお子さまに花と緑に親しむ機会の提供にも力を入れています。常磐公園時代から続く「ぼくの、わたしのコンテナガーデン広場」をはじめ、児童・生徒・学生のみなさまが参加できるイベントをいつも考えています。この絵画コンクールも「花育」の一環。絵を描くことを通して、身近にある自然の素晴らしさに目を向けていただければ良いなと思っています。

2009年

(北海道新聞 2009年6月9日 掲載)
(北海道新聞 2009年6月11日 掲載)
花フェスタ旭川最終日の定番・旭川農業高校吹奏楽部によるグランドフィナーレはこの年から始まりました。(例によって第1回目の写真が見当たりませんが)

道北造園建設業協会のみなさまが作ってくださるステキなステージ、多くの皆さまの発表の場にできるといいですよね。参加・出演ご希望の方がいらっしゃいましたら、お気軽に事務局に声をかけてください。

花フェスタ旭川の記憶 2010年代に続きます